ツバサ太郎の映画の感想チラシの裏

映画の感想を書いています。あくまで私ツバサ太郎の感想です。また、ネタバレを含むこともあります。

アイドルネッサンスは今日もどこかで青春を歌っているはず

 

f:id:iris0121:20180226121227p:plain2018年2月24日未完成で、だからこそ最高に輝いていた一つのアイドルグループが解散した。

「アイドルネッサンスは今日も青春を歌う」

それはきっと、彼女たちの物語に終止符が打たれた今でも、きっとどこかで。彼女たちの音楽は死なないし、空に太陽と、彼女たちの体にある心臓が動いている限りは、終わらないんだと。

石野理子は言った。「私たちの青春はどこにあるんだろう。」

「終わって気付かされた。青春はここなんだと。自然に青春に染まっていく、終わって気付いた今この瞬間も青春なんだ。」と。

人生を全て捧げたからこそ儚い。儚いからこその青春の輝き。

それら全てがアイドルネッサンスにはあった。これを、Base Ball Bear「17才」は「何もない感覚」と名付けている。終わってから気づいたこの感覚をデビュー曲で歌ったアイドルネッサンスは、この終わり方があらかじめ決められていたようでもある。

 

友情とも違う、恋愛とも違う、奇妙な感覚が彼女たちにはあった気がする。

比嘉奈菜子は「アイドルネッサンスとしてじゃなくても、メンバーの皆で沖縄に行って、海に向かって「17才」とか「ミラクルをきみと「おこしたいんです」とか「changes」を歌おう。」と言った。

また、南端まいな石野理子のことを石野と呼ぶ。

このアンバランスさは彼女たちにしか分からない感覚だと思う。

しかし、そこに愛はあった。

他のメンバーは石野理子のことを石ちゃんや理子さんと呼ぶ中、メンバーの中で一番石野を理解しているからこそ、石野と呼ぶのだろう。これが彼女たちだ。

アイドルネッサンスの代表曲である「YOU」をラストライヴで歌う、綺麗な高音で始まるこの曲のイントロで石野が倒れてしまった。ラストライヴでは好きな衣装を、ということで「YOU」の衣装を身にまとっていた原田珠々華がその高音を、照れながらも会場に響かせた。原田が石野に憧れていることは有名だし、だからこそ、まるでドラマみたいな話だ。

これがアイドルネッサンスだ。

個人的な話になるが、アイドルネッサンスを好きになったことは必然的であり、運命的だった。

幼い頃からバンドが好きだった私はBase Ball Bearの音楽を聴いた瞬間、その世界にほれ込んだ。自分が好きなもの、探し求めているものが青春なんだと気付かせてくれた。

そして、もっと青春を探して、アイドルを好きになった。彼女たちの存在はキラキラしていて、それでいて儚くて。その儚さがより一層輝いていた。そこでアイドルネッサンスを見つけた。

Base Ball Bearを歌う、青春を歌う彼女たちを好きになることは当然だった。

特に「YOU」という曲が好きだった。

youtu.be

歌声が綺麗で、MVではどこか自信が無さそうで、でも一生懸命で。

「息もできないくらい離さない」なんて、幼く若い彼女たちが歌ってもどこか現実味がない。その未完成が堪らなく好きだった。胸を締め付けられた。

何度も聴いたその曲を、ラストライヴで聴いて、涙が止まらなかった。やっぱりまだ未完成、それが彼女たちの物語だった。それが全てだった。

彼女たちに関する思い出は夏休みみたいに、楽しいことでいっぱいだ。

でも大人になったら夏は終わるし、なくならない夏はない。そして、夏休みはやっぱり短い。