アイドルネッサンスは今日もどこかで青春を歌っているはず
2018年2月24日未完成で、だからこそ最高に輝いていた一つのアイドルグループが解散した。
「アイドルネッサンスは今日も青春を歌う」
それはきっと、彼女たちの物語に終止符が打たれた今でも、きっとどこかで。彼女たちの音楽は死なないし、空に太陽と、彼女たちの体にある心臓が動いている限りは、終わらないんだと。
石野理子は言った。「私たちの青春はどこにあるんだろう。」
「終わって気付かされた。青春はここなんだと。自然に青春に染まっていく、終わって気付いた今この瞬間も青春なんだ。」と。
人生を全て捧げたからこそ儚い。儚いからこその青春の輝き。
それら全てがアイドルネッサンスにはあった。これを、Base Ball Bear「17才」は「何もない感覚」と名付けている。終わってから気づいたこの感覚をデビュー曲で歌ったアイドルネッサンスは、この終わり方があらかじめ決められていたようでもある。
友情とも違う、恋愛とも違う、奇妙な感覚が彼女たちにはあった気がする。
比嘉奈菜子は「アイドルネッサンスとしてじゃなくても、メンバーの皆で沖縄に行って、海に向かって「17才」とか「ミラクルをきみと「おこしたいんです」とか「changes」を歌おう。」と言った。
このアンバランスさは彼女たちにしか分からない感覚だと思う。
しかし、そこに愛はあった。
他のメンバーは石野理子のことを石ちゃんや理子さんと呼ぶ中、メンバーの中で一番石野を理解しているからこそ、石野と呼ぶのだろう。これが彼女たちだ。
アイドルネッサンスの代表曲である「YOU」をラストライヴで歌う、綺麗な高音で始まるこの曲のイントロで石野が倒れてしまった。ラストライヴでは好きな衣装を、ということで「YOU」の衣装を身にまとっていた原田珠々華がその高音を、照れながらも会場に響かせた。原田が石野に憧れていることは有名だし、だからこそ、まるでドラマみたいな話だ。
これがアイドルネッサンスだ。
個人的な話になるが、アイドルネッサンスを好きになったことは必然的であり、運命的だった。
幼い頃からバンドが好きだった私はBase Ball Bearの音楽を聴いた瞬間、その世界にほれ込んだ。自分が好きなもの、探し求めているものが青春なんだと気付かせてくれた。
そして、もっと青春を探して、アイドルを好きになった。彼女たちの存在はキラキラしていて、それでいて儚くて。その儚さがより一層輝いていた。そこでアイドルネッサンスを見つけた。
Base Ball Bearを歌う、青春を歌う彼女たちを好きになることは当然だった。
特に「YOU」という曲が好きだった。
歌声が綺麗で、MVではどこか自信が無さそうで、でも一生懸命で。
「息もできないくらい離さない」なんて、幼く若い彼女たちが歌ってもどこか現実味がない。その未完成が堪らなく好きだった。胸を締め付けられた。
何度も聴いたその曲を、ラストライヴで聴いて、涙が止まらなかった。やっぱりまだ未完成、それが彼女たちの物語だった。それが全てだった。
彼女たちに関する思い出は夏休みみたいに、楽しいことでいっぱいだ。
でも大人になったら夏は終わるし、なくならない夏はない。そして、夏休みはやっぱり短い。