アイドル卒業しすぎ問題について
アイドル卒業しすぎでは?
という声を最近よく聞く。有名なところではAKB48の高橋みなみや宮澤佐江、モーニング娘。’16の太い人たくましい方で有名な鈴木香音やアンジュルムの田村芽実、じゅじゅのしらい等々、アフリカで子どもが餓死するような勢いでアイドルたちが卒業していっている。
ちなみに私はコンビニでの買い物のお釣りが50円以下なら募金するようにしています。
その数の多さからアイドルの卒業をひたすら呟くアカウントもできたほどだ。
(@goodbyeidol)
原因は季節のせいなのか?
春だしね。私だって春だからハンバーガーを食べたよ。春には卒業(学校の)があり、進学する人たちもいる。それはアイドルにも言えることで、「アイドルだから学業をするな!」なんてことは言えない。高校を卒業する際にアイドルも卒業することが多いのも現実だ。
しかし、大学に在籍しながらも活動を続けているアイドルも少なくはない。某許してにゃんの人なんてアイドル活動を続けながら教員免許を取ってたのも知ってる人は多いのではないだろうか。許してにゃんのあの方は私的にケツ叩きたいグランプリ1位です。
とはいえ、私生活での転機がきっかけで卒業するアイドルが最も多いのも事実だ。アイドルとは青春を捨てているものだというのはアイドルヲタクだと感じてる人が多いと思うが、そのアイドルが私生活をきっかけに卒業するというのは切ない。様々なアイドルが、公的なアイドルという立場に私生活を殺されていく感覚を味わっているのではないのだろうか。我々ヲタクは髪を犠牲にし、アイドルは私生活を犠牲にしている。美しい。
そもそも卒業って何?
「さっきから卒業卒業ってなんやねんアイドルはいつから学校になったんや。」と思ってる短気な関西人のあなた。アイドル界隈における卒業にはグループ・事務所脱退、芸能界引退がある。アイドルが恋愛したことで契約違反となり、事務所を辞めさせられることもしばしば見られる。
なぜ、アイドルは恋愛するのだろうか。私にはわかりません。ちなみに、かつてとあるアイドルに「あいりすさんアイドルじゃないのになんで恋愛しないんですか?」て聞かれたことがありる。なんでなんだろうか。私にはわかりません。
出口はどう見えているの?
各アイドルによって違うんだろう。人によってそれは逃げ道だったり、人によってそれは階段だったり、様々だ。卒業をどうとらえるか、アイドルによって多種多様なのと同じように、ヲタクのアイドルの卒業へのとらえ方も人それぞれだ。
悲しむヲタクもいれば喜んで祝うヲタクもいる。私はすごく悲しむタイプだ。福田花音卒業発表の時は雨に打たれて泣いた。寒かった。アイドルとしての姿や進化をこれからは見られないのかと思うと涙が出てくる。
アイドルという生き物
先ほども述べたように、アイドルというものは青春を捨てて、ヲタクに愛されて生きているものだ、というものが一般的な解釈ではないのだろうか。私の愛する大森靖子のミッドナイト清純異性交遊という曲の詩に「春を殺して夢は光ってる。」というものがあるが、まさにその通りだ。この曲は大森靖子が道重さゆみにあてた曲だということも有名だ。
しかし、ヲタクは本当にアイドルを愛しているのだろうか。
音楽というものは消費されていくものだ。そしてファンというものは非常に冷たいものだ。それはいかなる場合にも言えることで、アイドルもそう言える。BiSHのセントチヒロ・チッチに「世界で一番好きだよ」とリプを送っているヲタクのプロフィールを見たら、堂々とモノノフと書いていたことがあった。お前の中の「世界で一番」はどうなってんだよ。
命を燃やして、青春を殺して生きているアイドルと、それを消費していくファン。アイドルにとってファンは宝物なのに、ファンは好きなものの一つでしかないという関係は恐ろしい。それでも命を燃やしてる女の子は美しい。とても芸術的だと思う。今日もどこかでアイドルが卒業してるんだろうか。卒業後もいい人生を歩めることを心から願っている。